気楽に語ろう☆日蓮正宗非活のブログ☆

日蓮正宗の非活メンバーによる語り

ブログの紹介を。

当ブログにお越しいただき、ありがとうございます。また毎回読みにきてくださる方も多く、本当に感謝しています。

当方、創価2世で元顕正会員の一日蓮正宗非活信徒が、日蓮正宗や異流儀の現在や教義の問題等を勝手に気楽に語る、非常に趣味的なブログであります(笑)。
なお、このページは随時編集、リンクを追加していきます。

日蓮正宗の功徳について

  

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創価学会について

 

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顕正会について

 

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日蓮正宗入門

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平成新編日蓮大聖人御書

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創価学会や顕正会で積んだ罪障は、日蓮正宗で必ず消すことができる

日蓮正宗には、元創価学会員や元顕正会員が大勢いる。

本人の自覚はどうあれ、日蓮正宗を離反した異流儀に属していた罪は重い。

凡そ謗法とは謗仏・謗僧なり三宝一体なる故なり是れ涅槃経の文なり、爰を以て法華経には「則ち一切世間の仏種を断ず」と説く是を即ち一闡提と名づく(真言見聞)

三宝とは仏法僧をいう。

日蓮正宗では

御本仏日蓮大聖人様(仏)

戒壇の大御本尊様 (法)

日蓮大聖人・日興上人以来唯授一人の血脈相承を受けられた、代々の猊下様(僧)

が仏法僧に当たる。

功徳は三宝を敬い供養することで積むことができるので、日蓮正宗を誹謗したり中傷した者や、そのような団体に所属した人は「則ち一切世間の仏種を断ず」として、功徳の源泉を失うのだ。

しかし、ありがたいことに下種仏法なので、反省し日蓮正宗に帰依すれば新たに種を植えてもらうことができるのだ。

人の地に依りて倒れたる者の返つて地をおさへて起が如し、地獄には堕つれども疾く浮んで仏になるなり、当世の人・何となくとも法華経に背く失に依りて地獄に堕ちん事疑なき故に、とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となつて仏になるべきなり、何にとしても仏の種は法華経より外になきなり(法華初心成仏抄)

人によって宿業や罪障は違うので、勧誡式(一度は日蓮正宗に入信しながら、創価学会などの邪義に惑わされて正しい信心を見失った人が、日蓮正宗の信徒として再出発するために行われる儀式。ここでは、再入信に当たって、二度と謗法を犯すことなく、信行に精進することを御本尊にお誓いする。)の直後から好転し功徳を感じる人もいるが、私の場合は落ち着くのに7年かかった。この7年を早いとみるか遅いとみるかは自由だが、無間地獄の長さ

無間地獄における寿命は、人間界の6400歳を一日一夜とした場合の6万4000歳を一日一夜として6万4000歳であり、人間界の時間では349京2413兆4400億年に当たる。また、この期間を一中劫とも呼ぶ。

この一中劫の長さに関する説明としては、「この人寿無量歳なりしが100年に一寿を減じ、また100年に一寿を減ずるほどに、人寿10歳の時に減ずるを一減という。また10歳より100年に一寿を増し、また100年に一寿を増する程に、8万歳に増するを一増という。この一増一減の程を小劫として、20の増減を一中劫という」とする表現もあり、これも人間界の年月に換算すると349京2413兆4400億年になる(1年を365日とした場合)。

また、一説によると、この地獄における寿命は、人間界の8000歳を一日一夜とした場合の8万歳を一日一夜として8万歳とも言われ[2]、この場合は人間界の時間で682京1120兆年に相当する計算になる。いずれにせよ、この地獄に落ちた者は気が遠くなるほどの長い年月にわたって、およそ人間の想像を絶する最大の苦しみを休みなく受け続けなければならない。

この他、一中劫の長さを表す喩えとしては、「縦横高さがそれぞれ一由旬の巨大な正方形の石を、100年に一度ずつ柔らかな木綿の布で軽く払い、その繰り返しで石がすり減って完全になくなるまでの時間である」とか、「縦横高さがそれぞれ一由旬の巨大な城にケシ粒がぎっしり詰まっており、その中から100年に一粒ずつケシ粒を取り出していって、城の中のケシ粒が完全になくなるまでの時間である」などとも言われる。この地獄に堕ちたる者は、これほど久しく無間地獄に住して大苦を受くという。

八大地獄 - Wikipedia

に比べれば大した差はないだろう。

日蓮正宗での信仰は難行苦行を必要とはしない。

公式サイト

日蓮正宗公式サイト 関連項目 日蓮正宗への入信と信仰の実践について

によれば、

日蓮正宗への入信
 入信(にゅうしん)とは、誤った宗教を捨てて、日蓮正宗の信徒になることをいいます。 入信にあたっては、謗法払いをしたのち、御授戒(ごじゅかい)を受け、御本尊(ごほんぞん)を下付(かふ)していただきます。再入信の場合は勧誡式(かんかいしき)を受けます。

謗法払い(ほうぼうばらい)
 入信に際しては、他の信仰の対象物となる他宗の本尊や神札、神棚や祠、念珠、経典、お守り、縁起物(だるま、熊手、破魔矢)などを取り払います。これを「謗法払い」といいます。この謗法払い日蓮正宗の信仰を清浄に実践していくために絶対に欠かせないものです。

御授戒(ごじゅかい)
 御授戒とは、一切の謗法を捨てて日蓮大聖人の正法を信仰することを御本尊に誓う儀式です。その際は、日蓮正宗の数珠と経本を用い、人生の新たな出発にふさわしい心がまえで臨みます

御本尊下付(ごほんぞんかふ)
 御本尊下付とは、寺院より御本尊をお貸し下げいただくことをいいます。
  私たちは、総本山の本門戒壇の大御本尊を信仰の根源とし、所属寺院を信心の拠り所としていきます。さらに、勤行・唱題をはじめ日々の信心修行のため、私たちの家庭に、大御本尊のお写しである御本尊を下付していただくのです。
  御本尊のお取り扱いは丁重にし、自宅にご安置する際には、僧侶の導師により、厳粛に入仏式を行います。僧侶が出仕不可能なときは、その指示により、法華講役員などが導師をつとめます。

勧誡式(かんかいしき)
 勧誡式とは、一度は日蓮正宗に入信しながら、創価学会などの邪義に惑わされて正しい信心を見失った人が、日蓮正宗の信徒として再出発するために行われる儀式です。
  ここでは、再入信に当たって、二度と謗法を犯すことなく、信行に精進することを御本尊にお誓いします。

法華講(ほっけこう)への入講
 「講」とは、本来は経典を講義したり、仏の徳を讃える法要のことでしたが、のちには、信仰する人々の集まりを指すようになりました。
  「法華講」とは、末法法華経、すなわち、日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の教えを信じて実践する人々の集まりをいい、大聖人みずからつけられた名称です。
  日蓮正宗法華講は、総本山と末寺を外護し、講員が互いに信行を深め、日蓮大聖人の教えを広宣流布していくために、日蓮正宗のなかに定められた信徒の組織です。
  日蓮正宗の信徒となった人は法華講に入講する手続きが必要です。入講の手続きは、新入信者の場合は、所定の「御授戒願」「御本尊下付願」を寺院に提出します。また再入信者の場合は、同じく「入講願」「誓約書」を提出します。
  そして、指導教師や法華講の役員より、日常の信心のあり方や、法華講員としての心がまえについて説明を受け、自分の所属する組織の担当役員を紹介していただきます。
  また、機関紙の購読や講費の納入なども必要です。機関紙は、私たちの信仰を深めるためのものであり、講費は、法華講の運営や活動に充てられるものです。

勤行(ごんぎょう)について
 勤行とは、仏前において読経唱題することをいいます。
  本宗の勤行は、御本尊に向かって、法華経の『方便品』と『寿量品』を読誦し、「南無妙法蓮華経」の題目を唱えます。朝は五座、夕は三座を行います。
  唱題は、功徳の源となる根本の修行ですから「正行」といい、方便品と寿量 品を読誦することは、題目の意義と功徳を助けあらわすものですから「助行」といいます。

勤行・唱題の意義
 勤行は、私たちにとって信心の基盤となる修行です。  第二十六世日寛上人は、
  「この御本尊には広大深遠の不思議な力がそなわっている。したがって、この御本尊に向かって南無妙法蓮華経と唱えるならば、祈りを成就し、過去の罪を消し去り、福徳を積み、真理を我が身にあらわすことができる」(意訳・観心本尊抄文段) と仰せです。
  信心の目的である成仏という最高の境界は、御本尊を深く信ずる心と、御本尊に向かって勤行・唱題を実践することによって築かれます。
  朝夕の勤行は、幸福な人生を確立し、希望に満ちた未来を切り開いていく源泉となるものですから、毎日欠かさず行います。

勤行のこころがまえ
 朝の勤行は、妙法の功徳に浴した有意義な一日を過ごすことができるよう念じて行います。夕方の勤行は、御本尊の加護により、一日を終えたことへの感謝の心をもって行います。
  勤行は、信仰するうえで重要な修行ですから、姿勢を正し、敬虔な気持ちで臨みます。
  勤行の際には、数珠を手にかけ、経本を見て一字一句正確に読みます。また、自分勝手なアクセントをつけて読経・唱題したり、むやみに数珠を揉んだりしないように気をつけます。
  唱題は、胸の前で自然な形で合掌し、できるだけ御本尊の「妙」の文字を拝して行います。勤行の時の唱題は、回数や時間にきまりはありませんが、心ゆくまで行いたいものです。
  また、勤行の時以外に、折伏や諸願の成就などの目標を持って「唱題行」を行うこともあります。
  日寛上人は、唱題を重ねる意義について、
  「一遍二遍、南無妙法蓮華経と唱えるだけでは、仏になるようには思えないだろうが、一滴の水が集まって海となり、一歩一歩の積み重ねが千里の道を行くように、 日々の唱題の積み重ねが大切である」(意訳・寿量品談義) と仰せです。 私たちは、常に唱題を心がけていきましょう。
  正しい勤行の仕方を身につけるためには、寺院の勤行に参加したり、同信の人といっしょに行うとよいでしょう。

総本山への登山参詣
 日蓮正宗では、総本山大石寺に参詣することを「登山(とざん)」といいます。
  大石寺には、日蓮大聖人の御当体である本門戒壇の大御本尊が厳護されています。また、総本山には大聖人以来の血脈を所持される御法主上人がおられます。したがって総本山大石寺日蓮大聖人の仏法の一切と御精神が脈々と息づいている霊地なのです。
  総本山においては、登山参詣した信徒に対して、大御本尊を直々に拝することを許しています。これを「内拝(ないはい)」といい、このとき大御本尊の御厨子が開かれることから「御開扉(ごかいひ)」ともいいます。
  日蓮大聖人が 「須弥山に近づく鳥は金色となる」(本尊供養御書) と仰せのように、大石寺に参詣し本門戒壇の大御本尊に御目通 りすることによって、私たちは、自らの罪障を消滅し、諸々の願いを成就して成仏の大道を歩むことができるのです。

と明快に示されている通りだ。

かつての創価学会員であれば、懐かしいのではないだろうか?

昔も今も日蓮正宗に変節などありえないのだ。

しかし、人の人生は無常の風に曝されているので、罪障消滅を実感できるまで生きる自信がないとか、謗法のまま死なせてしまった故人はどうすればいいのだ?との不安もあろうかと思う。

葬儀や追善供養によって死の成仏を賜ることも可能なので、安心してほしい。下の妙通寺様のリンクを確認してください。

www.myotsuuji.info

www.myotsuuji.info

創価学会顕正会は、辻褄合わせの為に適当な珍説で日蓮正宗の化儀を否定しているが、化儀の重要さ大切さは日蓮正宗で朝夕の勤行を実践していけば、嫌でも実感できる。創価学会員はかつて自分たちが、世間や親族の顰蹙をものともせずに、日蓮正宗の功徳を喧伝していたことを思い出すべきではないだろうか?

顕正会員は戒壇の大御本尊様を尊崇する気持ちがあるのだから、きちんと下種を受けて、真の法華経の法体たる戒壇の大御本尊様のお目通りをねがうべきである。

日蓮正宗寺院一覧 - Wikipedia

を参考に最寄りの寺院に参詣してみてはいかがか?

 

 

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