日蓮正宗信徒の日記

日蓮正宗信徒の雑記帳

日蓮正宗の信仰や功徳を、学問的に理解しようとしても無駄な理由とは

擣簁和合(とうしわごう)の妙法を学問的に分析しても再構築はできない

父見子等。苦悩如是。依諸経方。求好薬草。色香美味。皆悉具足。擣簁和合。与子令服。而作是言。此大良薬。色香美味。皆悉具足。汝等可服。速除苦悩。無復衆患。

父、子等の苦悩すること是の如くなるを見て、諸の経方に依って、好き薬草の色香美味、皆悉く具足せるを求めて、擣簁和合して、子に与えて服せしむ。而して是の言を作さく、此の大良薬は、色香美味、皆悉く具足せり。汝等服すべし。速かに苦悩を除いて、復衆の患無けんと。

妙法蓮華経 如来寿量品第十六)

日蓮大聖人様のお題目は小さな子供でも唱えることは可能です。

「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)」

と、戒壇の大御本尊様を信じて唱えるだけで、過去遠々劫以来(かこおんのうごういらい)の罪障が消滅し福徳に転じていくのです。

すばらしいことではないですか。

しかし、末法の凡夫は非常に疑り深くて、わざわざ理屈をコネて信じることを拒否してしまいます。

もったいないことですが、仏様はお見通しでした。

其諸子中不失心者。見此良薬色香倶好。即便服之病尽除愈。余失心者。見其父来。雖亦歓喜問訊求索治病。然與其薬而不肯服。所以者何。毒気深入失本心故。於此好色香薬而謂不美。父作是念。此子可愍。為毒所中心皆顛倒。雖見我喜求索救療。如是好薬而不肯服。我今当設方便令服此薬。即作是言。汝等当知。我今衰老死時已至。是好良薬今留在此。汝可取服勿憂不差。作是教已復至他国。遣使還告。汝父已死。是時諸子聞父背喪。心大憂悩而作是念。若父在者。慈愍我等能見救護。今者捨我遠喪他国。自惟孤露無復恃怙。常懐悲感心遂醒悟。乃知此薬色味香美。即取服之毒病皆愈。其父聞子悉已得差。尋便来歸咸使見之。

其の諸の子の中に、心を失わざる者は、此の良薬の色香、倶に好きを見て、即便ち之を服するに、病尽く除こり癒えぬ。
余の心を失える者は、其の父の来れるを見て、亦歓喜し、問訊して病を治せんことを求索むと雖も、然も其の薬を与うるに、而も肯て服せず。所以は何ん。毒気深く入って、本心を失えるが故に、此の好き色香ある薬に於いて、美からずと謂えり。父是の念を作さく、此の子愍むべし。毒に中られて心皆顛倒せり。我を見て喜んで救療を求索むと雖も、是の如き好き薬を、而も肯えて服せず。
我今当に方便を設けて、此の薬を服せしむべし。
即ち是の言を作さく、汝等当に知るべし。我今衰老して、死の時已に至りぬ。是の好き良薬を、今留めて此に在く、汝取って服すべし。差えじと憂うること勿れと。
是の教を作し已って、復他国に至り、使を遣して還って告ぐ
汝が父已に死しぬと。
是の時に諸の子、父背喪せりと聞いて心大いに憂悩して是の念を作さく、
若し父在しなば、我等を慈愍して、能く救護せられまし。今者、我を捨てて遠く他国に喪したまいぬ。
自ら惟るに孤露にして復恃怙無し。
常に悲感を懐いて、心遂に醒悟しぬ。乃ち此の薬の色香味美なるを知って、即ち取って之を服するに、毒の病皆愈ゆ。
其の父、子悉く已に差ゆることを得つと聞いて、尋いで便ち来り帰って、咸く之に見えしめんが如し。(妙法蓮華経 如来寿量品第十六)

まさに、世間の学者や謗法の僧侶、異流儀の信者たちの姿ですね。

日蓮大聖人様は自身を法界とひらく御本仏様ですから、御内証においては即座に頓悟されていたでしょうが、法華経を身で読むために諸寺に遊学され、諸々の大難を受けられたのち、身命をすてて信心を貫いた熱原の法華講衆の出現に時を感じられ、弘安二年に本門戒壇の大御本尊を御建立あそばされました。

そのことは、「 聖人御難事」に明確に述べられております。

仏は四十余年・天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり(聖人御難事)

大聖人様の御悟りを凡夫は己の見識で理解しようとしても、仏教学や仏教史の知見から分析し帰納法的に同じ知見にはたどり着けないのです。

今の経は唯仏与仏と談ずるが故なり、譬喩品に云く「汝舎利弗尚此の経に於ては信を以て入ることを得たり況や余の声聞をや」文の心は大智・舎利弗法華経には信を以て入る其の智分の力にはあらず況や自余の声聞をやとなり、されば法華経に来つて信ぜしかば永不成仏の名を削りて華光如来となり嬰児に乳をふくむるに其の味をしらずといへども自然に其の身を生長す、医師が病者に薬を与うるに病者・薬の根源をしらずといへども服すれば任運と病愈ゆ若し薬の源をしらずと云つて医師の与ふる薬を服せずば其の病愈ゆべしや薬を知るも知らざるも服すれば病の愈ゆる事以て是れ同じ、既に仏を良医と号し法を良薬に譬へ衆生を病人に譬ふされば如来一代の教法を擣簁和合して妙法一粒の良薬に丸ぜり豈知るも知らざるも服せん者・煩悩の病愈えざるべしや病者は薬をもしらず病をも弁へずといへども服すれば必ず愈ゆ、行者も亦然なり法理をもしらず煩悩をもしらずといへども只信ずれば見思・塵沙・無明の三惑の病を同時に断じて実報寂光の台にのぼり本有三身の膚を磨かん事疑いあるべからず、されば伝教大師云く「能化所化倶に歴劫無く妙法経の力即身成仏す」と法華経の法理を教へん師匠も又習はん弟子も久しからずして法華経の力をもつて倶に仏になるべしと云う文なり(聖愚問答抄下)

妙法一粒の良薬をバラバラにしても、成分表みたいなものを作るのが関の山でしょう。

それでも大慢心の衆生が充満している末法ですから、日蓮正宗猊下様は可能な限り妙法の意味を説いてくださっています。

ぜひ、日顕上人様の「妙法七字拝仰 上巻」「妙法七字拝仰 下巻」「三大秘法義

を手に取って読んでみてください。

始めは難しいかもしれませんが、何度も読んでいけば読書百遍義自ずから見るに至ります。

願わくば、日蓮正宗の御授戒を受けて、仏法理解の大願を戒壇の大御本尊様に、御祈念できる境界になられることをお祈りいたしております。

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三大秘法義

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妙法七字拝仰 上巻

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妙法七字拝仰 下巻

妙法七字拝仰 下巻

 

 

 

 

 

日蓮正宗の信仰と人生観

人生観は人それぞれに違っていて当然だと思います。

私の子供のころは、勉強を頑張っていい大学に入って医者になることや、司法試験に合格することが最高の名誉だと思っていました。これは、あくまでも過去の私の人生観です。

私は医者にも弁護士にもなれませんでした。

昔、中島敦の「山月記」という小説を読んだことがあります。中島敦は私の好きな小説家の一人ですが、「山月記」の主人公は人に秀でた才能を持ちながら、人生の挫折を乗り越えることができずに妖怪「人喰いトラ」となりました。

一般世間の人生観の主流は、おそらくは成功とか名誉だと思います。

でも、成功しなければ幸せになれないのだとしたら、せっかく人間に生まれても幸福を得られる人というのは非常に限られてしまいます。

世間のことわざにも「禍福は糾える縄の如し」という言葉がありますが、執着を離れ仕事に家庭に満足感を持ち、末法濁悪の娑婆で仏道修行ができる喜びに勝るものはないと、実感できるようになることで本当に見えてくる景色がありました。

日蓮正宗の御本尊様は観心の御本尊様です。

自分の心を観ることができる、そして仏の心に境智冥合できる御本尊さまです。

大聖人様の御書を読んでいただければわかりますが、当時の鎌倉仏教界の成功者ではありません。

仏様は成功などに執着されませんでした。

この境地に自然に達する方法が日蓮正宗の信仰だと思っています。

誤解があるといけませんので、成功が悪いというのではありません。自分の人生を肯定できるようになることが成功の基本だと思っているのです。

賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり、をを心は利あるに・よろこばず・をとろうるになげかず等の事なり、此の八風にをかされぬ人をば必ず天はまほらせ給うなり(四条金吾殿御返事)

 

李陵・山月記 (新潮文庫)

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