気楽に語ろう☆日蓮正宗非活のブログ☆

日蓮正宗の非活メンバーによる語り

重症のアトピーすら瞬時に完治した「日蓮正宗」の御題目のすごさ(The awfulness of the "Nichiren Shosetsu" theme that caught instantly even severe atopy)

浄土真宗僧侶(念仏)の体験
                     本地寺信徒  吉田正信さん

 

 私はこの3月末(平成20年)まで、浄土真宗西本願寺派の僧侶で、江戸時代後期から百五十年間続く帰命寺という寺の住職をしていました。そんな私がこの総会で体験発表をしているのですから、自分でも何が起こったのかと思っております。

 

◇妻が求めた、家族みんなの幸せ
 入信のきっかけは、妻が、私が家族のことも忘れて念仏僧侶の仕事と寺を守ることばかりに明け暮れている姿を見て、いつも嘆き悲しんで、苦しんでいたことでした。
 ある日のこと、妻は友人の宮本乃婦子さんに人生の相談を始めました。でも宮本さんは、「あなたの悩みを解決するには、教えてあげたいけど、もし、あなたに私が教えたら、あなたの家がひっくり帰るかもしれんのよ」

と言われました。でも必死だった妻は諦めませんでした。

 「どうしても教えて欲しいの」

と願ったのです。そうしたら宮本さんはこう言われたそうです。

 「間違った宗教には害毒があるのよ。あなたの家はお寺で、念仏の教えの場所やで。そこでは絶対に救われることはないのよ」

と。

「え?宗教の害毒?」

と、妻は一層落ち込んで悩んでしまいました。
 でも妻は、宮本さんの言うとおりに、本当の幸せを求めて唱題を始めたのです。やがて、彦根市日蓮正宗本地寺にも行くようになりました。初めてお会いしたご住職の宗像高道御尊師から

「あなたがけが幸せになりたいのですか」

と尋ねられた妻は、

「家族みんなで幸せになりたい」

と答えたそうです。妻が求めていたのは、自分だけの幸せではなく、家族皆の幸せでした。

 

 そしてある日、ついに妻は勇気を出して私に言いました。

 「お父さん、念仏では救われへんのよ。不幸になるだけや」
 「何おかしいこと言うてるねん。念仏がおかしいて、気が変になったと違うか」
と私は猛反対しました。それでも妻は、離婚を覚悟で私に言い続けたのです。
 あまりの妻の真剣さに私は恐る恐る、本当に恐る恐る、彦根の本地寺に行ってみました。そうしたら御住職の笑顔と、「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と大きな声で一心に唱えている皆さんの姿があるではありませんか。私は子供の頃から、南無妙法蓮華経は罪深い言葉だと祖母に教えられて育ったものですから、皆さんの真剣な唱題の姿をみて、

「何でこんなに一生懸命に唱えることができるんやろう。なぜ、疑いもなくまっすぐに声を出して、真剣になれるんやろか」

と思いました。
 その日から私は、心では決して南無妙法蓮華経を信じていないのに、いつの間にか口から静かに、そして自然に「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と御題目が涌いてくるようになってしまったのです。

 「なんちゅうこっちゃ」

妻には詰めた言葉を吐いて猛反対している私自身が、車に乗ったときでも「南無妙法蓮華経」とつぶやくのでした。

 

◇息子が御住職と対面
 私には息子が二人います。大学生になる次男は、全身がアトピーで、入学したばかりの工業大学を、やむなく1年間休学しなければならないほどの状態でした。その時分は体も衰弱していて下宿先の寮の部屋の中に引きこもっていました。そして精根尽き果てて、ある日、バイクで家に帰ってきました。折しも、私達夫婦は本地寺のご住職とご縁をいただいて間もない頃でしたから、すべてのことをご住職に相談させていただきました。ご住職は「どんな形でもいいから、子供さんをお寺に連れてきなさい」と言われました。大聖人様を信ずるとか、念じるとか、そんなことは何も言われませんでした。ただ「連れてきなさい」とだけ言われました。
 家に帰ってきた息子は、ある夜のこと、妻が目の前で「南無妙法蓮華経」と唱えているのを聞いて、

「何、おかしいこと言ってるねん。お母さん、気がおかしいなったんか。それ何やねん。僕がそのお寺に行って、住職に文句言うぞ」

と言いました。チャンス到来と、すかさず私が

「そしたら今からすぐにお寺へ行こうか」

と言うと、息子も

「よーし、すぐ行こう」

となって、早速私は車を用意して息子を乗せてお寺へ行きました。息子は車の中でもすごい剣幕でした。
 私の車はまっすぐ本地寺に向かっていました。後押しするかのように道中の信号も赤から青にすぐ変わりました。
 やがてお寺に着いて、本堂の玄関からではなく、客間の脇から上がらせていただき、パジャマ姿の息子はご住職と対面しました。いつもなら身なりを一番気にする息子がパジャマ姿で、しかも、それまで大剣幕で文句を言ってやると意気込んでいた息子が、ご住職にお会いした途端、何も言えなくなりました。そしてご住職は息子に対して、

「何も信じなくていいから。今の君は体も心もボロボロなんだって。だから今日ね、寝るときに三回でいいから『南無妙法蓮華経』って言ってごらん」

と言ってくださいました。
 息子はキョトンとして「はい」と静かにつぶやき、心を静めて家に帰りました。そしてご住職のおっしゃった通り、御題目を三唱だけして寝たのです。
 次の日の朝、息子が大声で叫びました。

「お父さん、お母さん、顔の膿が消えている。昨日の夜、三回、南無妙法蓮華経と言っただけなのに。何も信じていないのに。ほんまに見て。顔がきいれいになっている」

と、涙ながらに言いました。私も妻も息子も、涙の中で真実を見せていただいたのです。

 

◇晴れて、家族で入信
 私はこの二つの出来事により、念仏の中で生きることの愚かさを身に染みて悟らせてもらったのです。念仏では救われない。念仏は「仏様から信心を戴く」と言うが、妻も私も息子もその信心では救われなかったと実感しました。南無妙法蓮華経、つまり日蓮大聖人様の教えでしか、家族が一つにはなれなかったのです。
 この日から、御住職に相談しながら僧籍を返上して還俗する手続きやら、帰命寺の檀家総代や役員の方たちに住職を辞める事情を説明して、後任住職の選定を組寺の長に一任する手続きやら、引っ越しの段取りやら、毎日が慌ただしく過ぎていきました。
 そうして昨日、4月19日に本地寺の御宝前において、晴れて家族そろって御授戒を受けさせて頂き、御本尊様を御下付戴きました。涙が心からも体からも涌いて出てきました。私たちの周りには兄弟、親戚や友人ではなく、本物の仏様・日蓮大聖人様と共に歩む本地寺支部法華講員の皆様の応援の声、唱題の姿がありました。私たち家族は、日蓮大聖人様の教え、真実の仏法の道につかせていただくことができました。本物の仏様の教えこそが日蓮正宗なんだ。浄土真宗の僧侶であった私が心から言っているのですから、間違いありません。

 

 私たち家族には、本当の信心と、そして行動の日々が始まったのだなと思い、心から前進していく決意です。命を戴けたい感じています。
 私は住職として帰命寺を捨てたのではなく、本物の仏様の教えを知った以上は、それまで私を慕って協力してくれたかつての檀家さんお一人おひとりを折伏していく人生が始まったのです。私は今でも帰命寺の檀家さんが大好きです。だからこそ折伏し、幸せにしてあげなければと思っています。そして母や兄弟、親戚を一人ずつ折伏していく人生を生き抜こうと思っています。               (大白法平成20年6月16日号より)

 

 

<吉田さんの浄土真宗への考え>
 ○浄土真宗は、自分から行として念仏をして幸せになろうという法門ではなく、阿弥陀仏衆生に有無を言わさず救い取ることになっているが、真実の現証結果として念仏で幸せになれない。

 

 ○死後に西方極楽浄土に往生するというが、西方極楽浄土は架空の世界であり、阿弥陀仏法華経で救われたこと。そして死後を願うから、この世を捨ててしまう厭世観が生まれ、自殺が多いこと。

 

 ○他人や周りの世相に左右され、悩み、自己決定がなかなかできず、自分の責任で課題や問題が起こったとしても、必ずと言ってよいほど、他人のせいにする。

 

 ○ほとんどのことを念仏の住職に任せ、法義、教学には一切興味を示さず、ただ仏罰が当たることを怖がって法事をするのが真宗門徒の真実の姿であり、そこには本物の信心は生まれない!つまり亡き人や先祖の追善供養が自分の信心や実践でできないことが、非常におかしい法門である。

 

 ○今、一生懸命、生きている自分だけでなく、お母さんやお子さんにこの世で幸せになってもらうための祈りの心が純粋に生まれ、本当に幸せになれるのはこの日蓮大聖人様の仏法しかあり得ないこと。

 

 ○日蓮正宗は、日蓮大聖人様の本当の教えをきちっと伝承してきた唯一の宗門で、七百五十年の歴史の中でそれは変わらず脈々と受け継がれてきたこと。

 

 ○浄土は何も死んでからあるものではなく、今生きている娑婆世界にこそ建立されなければならないと、私たちに自分の御生涯のすべてをかけてお教えくださった大聖人様の仏法こそが、日蓮正宗であること。
              (大白法平成20年11月16日号より)

 

富士大石寺に御安置されている、本門戒壇の大御本尊様の功徳というのは凡夫の想像をはるかに超える。二十六世日寛上人様も

是れ則ち諸仏諸経の能生の根源にして、諸仏諸経の帰趣(きすう)せらるる処なり。故に十方三世の恒沙の諸仏の功徳、十方三世の微塵の経々の功徳、皆、咸(ことごと)く此の文底下種の本尊に帰せざる莫(な)し。譬えば百千枝葉同じく一根に趣くが如し。故に此の本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用有り。故に暫(しばら)くも此の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざる無く、罪として滅せざる無く、福として来たらざる無く、理として顕われざる無きなり。『観心本尊抄文段』

と仰せのごとくである。

かつての日蓮正宗創価学会時代の創価学会員たちは、その功徳の大きさに驚嘆・感激し親族や知人からの顰蹙をも恐れず弘教に邁進したのだ。

しかし、破門後は異流儀となり魔の通力に惑わされ、罰にも気づかず幸福を見失ってしまった。

いわんや世間一般の無知の人々は、言わずもがなである。

顕正会・正信会の異流儀も存在するが、最終的には福運を消失して不幸に陥っている人の例は、枚挙にいとまがない。

浄土真宗の僧侶から日蓮正宗信徒になった、吉田さんの体験はすごいことだと思うのでぜひとも紹介したいと思い掲載した。

私自身も大きな功徳を日蓮正宗に帰依してから、いくつも体験させていただいた。日寛上人様はまた、

夫れ本尊とは所縁の境なり、境能く智を発し、智亦行を導く。故に境若し正しからざる則んば智行も亦随って正しからず。妙楽大師の謂えること有り『仮使発心真実ならざる者も正境に縁ずれば功徳猶多し、若し正境に非ざれば縦い妄偽なけれども亦種と成らず』等云々。故に須く本尊を簡んで以て信行を励むべし。若し諸宗諸門の本尊は処々の文に散在せり、並びに是れ熟脱の本尊にして末法下種の本尊に非ず。『文底秘沈抄』

と仰せである。

我々の日々の五座三座の勤行も、正境に縁していればこその大功徳なのだ。

正境とは日蓮正宗の血脈が通った御本尊様のことである。吉田さんの息子さんが唱えたお題目三唱も、正境と正師に縁して唱えたお題目だったからこそ、功徳を生じたのだといえよう。

法華講員の私も「発心真実ならざる者」であるとの自覚を持ち続けている。自分が勤行・唱題するときには、大抵が自分の保身や安楽を祈念しているのだから。集中できずに雑念が支配することも多い。所詮は末法の凡夫だから。それでも大きな功徳をいただけるのは、日蓮正宗の血脈に縁しているからこそだと確信している。

日蓮正宗寺院一覧 - Wikipedia

四国の遍路参りに行ったり、歎異抄を読んだり、セミナーに通ったり…人間は苦しみから、求道心から魔道に迷い込む生き物。

日蓮正宗寺院へ参詣し、末法下種の本尊に縁してほしい。

Experience the Jodo Shinshu priest (Nembutsu)
Mr. Masanobu Yoshida, Honenji Temple

In case

Until the end of March (Heisei 20), I was a priest of the Nishihonganji school of the Shogo Shin Buddhist priest who was a temple of the temple called Shousen-ji, which lasted 150 years from the latter half of the Edo period. Since I am announcing the experience at this general meeting, I am wondering what happened myself.

In case

◇ Happy happiness for all family members
The chance for my arrival was that my wife was always suffering, always mourning, watching the buddha Buddhist monk's work and the fact that he was absent only to protect the temple, forgetting about my family.
One day, my wife started discussing my life with my friend Miyamoto Nogako. But Mr. Miyamoto said, "I will tell you to solve your troubles, but if you tell me you may be home your house exactly"

They said. But my desperate wife did not give up.

"I really want you to tell me"

I hoped that. Then she said that Mr. Miyamoto said this way.

"There is harm in the wrong religion, your house is a temple, a place of teaching Nenbutsu, there is absolutely no way to be saved there"

When.

"Eh? Is it a poison of religion?"

And my wife suffered more depressed.
But as my wife said, Miyamoto started asking for true happiness. Eventually, I came to visit Nichiren Shosetsu Main Hall in Hikone city. Mr. Munakata from your high priest who first met you

"Do you want your happiness to be happy?"

The wife asked,

"I want to be happy with everyone in the family"

He said he answered. What my wife was seeking was not happiness only for myself, but for the whole family.

In case

And one day the wife finally gave me courage and told me.

"Dad, you can not be saved in Nembutsu, only to be unhappy"
"I'm telling you something strange.Nest Buddha is strange and different from being crazy"
I strongly opposed. Still, my wife kept saying to me with divorce.
To the seriousness of so many wives I am terribly frightened, I really am afraid I went to Hikone's main temple. Then do not you have the figure of everyone who has chanted with a big voice with the smile of the priest's occupation and "Southern Heroes Lotus Senchu, Southern Huang Rengheme Long". Since I was a child, I grew up being taught by my grandmother that the Southern Juvenile Rengehoushua is a sinful word, so when you see your serious challenge,

"Why can you challenge so hard, why can you become seriously aloud with a doubt without a doubt?"

I thought.
From that day on, I have never believed in Southern Huawei Penetration Society, but unexpectedly quietly and naturally the theme "Southern Heroes Lotus Senchu, Southern Homeland Renga Hua Yu" has come to be heard It's gone.

"Nankuchu koto chan"

To my wife, I myself myself saying "Southern Hughes Dangerous Rengehua" even when I got on the car, who sprained the word we stuffed against so much.

In case

◇ My son confronts his occupation
I have two sons. My second son who became a college student was in such a condition that the whole body was atopic and I was forced to take a leave of absence from an industrial university I just entered. At that time the body was weakened and stayed in the dormitory room of the boarding house. And finished with exhaustion, one day, I came back home by motorcycle. By the way, since our couple was short time ago with the residence of Honsenji, I consulted everything in the priesthood. Your priesthood was told, "Any shape can be taken, so please bring your child to the temple." I did not say anything like believing in the saints, or remembering them. I was told only to "just take me".
My son, who came home, heard that one night he said that his wife was saying "Southern Heroes Lotus Sutra" in front of me,

"What are we doing wrong, Mom, have you felt sorry, what do you mean, I'm going to that temple and complaining about my priesthood"

said. With the arrival of opportunities,

"Then, shall we go to the temple soon?"

And my son also

"Okay, let's go now"

Then, I prepared a car and put my son on the train and went to a temple. My son was an amazing sword in the car.
My car was heading straight to the main temple. The signal on the road changed immediately from red to blue as if to boost.
Eventually arrived at the temple, not from the entrance of the main hall but from the side of the guest room, my son in pajama faced his job. My son, who always care about herself the most, is in pajamas, and my son, who was keen to complain about it with a big sword curtain, ceased to say anything as soon as I saw her priest. And to your son,

"You do not have to believe anything, because you and your body are torn all right now. So today, when you go to bed you need three times, so say" South Pure Lotus Sengoku "

I said that.
My son quietly murmured "yes" as Kyoton, calm the mind and went home. And, as you mentioned in your occupation, I only slept three subjects on the title.
The next morning my son shouted loudly.

"My father, mother, the pus in my face has disappeared, I only said three times, the Southern Heroes Lotus Sangyo, yesterday night, I do not believe anything. There is "

I said with tears. Both I, my wife and my son, showed me the truth in tears.

In case

◇ Clear, my family entered
Through these two events, I was made aware of the foolishness of living in Nembutsu. It can not be saved in Nembutsu. Nembutsu says "I receive faith from the Buddha", but I realized that neither my wife, I nor my son, was saved by that faith. Family members could not become one, only with the Southern Honolulu Penetration Society, that is, the teaching of Nichiren saints.
From this day on, explaining the circumstances of returning the priestess and conspiring to return to the priesthood, discussing the circumstances of quitting officers to the general officials of the return home and the members of Okinawa Temple, consulting with his occupation, Every day was hurriedly passed by procedures to decide office, arrangements for moving, etc.
And yesterday, on April 19th, we had a sunny and families gathered at the main temple 's treasure trove, and we received your worshiped master. Tears came out from my heart as well as from my body. There were voices of support of everyone of Hokkaido lecturers at the mainland temple branch that walks with us, not brothers, relatives or friends, but real buddha and Nichiren saints around us, there was a challenge. Our family was able to tell me the Nichiren saints' teachings, the way of the Buddha law of truth. The real teachings of Buddha are Nichiren Shosetsu. Since I was a monk who was a priest of the Jodo Shinshu, I do not mistake it.

In case

To our family, I am determined to believe that the real beliefs and the days of action have started, and I am determined to move forward from my heart. I feel like wanting life.
I have not abandoned the return home as a priest, but as long as I learned the real teachings of Buddha, my old dancer cooperated longing for me until then Life to surrender one person It began. I still love the Dan family in the return home from now. That is why I believe we should turn around and make us happy. And I think that I will survive my life, living my mother, brothers and relatives one by one. (From the June 16, 2008 issue of the Ohwa law)

In case

In case

<Yoshida's thought to the Jodo Shinshu>
○ Jodo Shinshu is supposed to save salvation to the sentient beings and not to say that the Amida Buddha is not a law enforcement that makes a nuns buddha as a line from himself, but happily in nun Buddha as a result of the real testimony can not become.

In case

○ Although it seems to be stranded to the westward paradise after death, West Western Paradise is a fictitious world, Amida Buddha was saved by the Lotus Sutra. And since it wishes after death, a pessimistic view that throws out this world was born, and suicide is many.

In case

○ It depends on other people and the surroundings, troubles, self-determination can not be made easily, even if problems or problems occur at their own risk, it is always to blame others for saying.

In case

○ Leaving most of the things to the priestess of Nembutsu, showing no interest in law and teaching, it is the truth form of Shin Buddhist truth that it is just a scare of being afraid that Buddha's punishment is hit, and there is a genuine Shinto is not born! In other words, it is a very funny legal thing that the pursuit of the deceased and the ancestors can not be done with their own faith and practice.

In case

○ Now I am trying hard not only to live self but also to my mother and child to be purely born a prayer heart to be happy in this world and to be truly happy can only be this Buddhism of Nichiren saints There is nothing.

In case

○ Nichiren Shosetsu is the only god that has steadily passed on the true teachings of Nichiren saints, in the history of the seventy and five hundred years it has been inherited all the time.

In case

○ Pure land is not something that has been dead since now, it must be built only in the world of living living now, the Buddha method of the great saint who taught us all over his entire life To be Nichiren Shōsu.
(From the November 16, 2008 issue of the Ohwa law)

In case

It is far beyond the imagination of the ordinary martial arts that the great master priest of Honmon Gateke, kept at Fuji Oishiji temple, is superior. Hiroshi 26th, Hiroshi superior also

In consequence, as a root of the nature of the Buddha and the various Buddhas, the birth of the Buddha and Buddhism (Kisu) is dealt with. Therefore, the merit of the Tsunsa Buddha of the ten thousand years, the merit of the tin thirteenth 's fine dust, everyone, it is unavoidable attributable to the main honor of the latter kind of Kamogoto. In parables one hundred thousand branches and leaves likewise bear in one roots. Because of this merit of this Honjin, there is a strange use for the extensive and profound with no abundance. Therefore, it is obliged to believe in the honjon of this temple so that if you call it the Southern Honorary Penetration Society, that is, you must fulfill it as a prayer, you must be destroyed as a sin, you have no choice but to come as a blessing, . "Temporal observation essay story"

It is as if I say.

The Soka Gakkai members of the former Nichiren Shosetsu Soka Gakkai saw that they were amazed at the magnitude of their merit and were keenly afraid of Hiroshima without being afraid of gangs from relatives and acquaintances.

However, after the excommunication, it became a different way and became deceived by the force of the demon, he did not even notice the punishment and lost sight of happiness.

People who are ignorant of the general public are totally indescribable.

There are different styles of the Shikokai and Masashigai, but ultimately there are numerous examples of those who are misfortuned by losing their fortune.

I thought that Mr. Yoshida 's experience was great as a member of the Nichiren Shoson from the priests of the Shin Buddhism, so I definitely wanted to introduce it.

Since I myself devoted my great merit to Nichiren Shosetsu, I have experienced a lot. In addition,

The husband is a border of the relationship with the main honor, it gives a wisdom that interferes and leads wisdom. Because of that, it is bordering and not correct, nor is it correctly Jiyoshi too. There is something called by Taishaku Daishi "If a person who is not a truthful faithful truth is merciful when it comes to the immediate boundary, if it is not a positive boundary, it will not become a seed even if it is not a vertical delinquency" . Let 's encourage trust by briefly honoring Sousuke Honbunsu. The prince of the Temples of the Temples was interspersed in the writings of deeds, and indeed made it the main honor of ripeness and not the main honor of the last law. "Intrinsic secret pilot"

And say it.

Our daily work of the five-seat trident is also a great merit if it is bounded by the immediate environment.

Masami is what Mikoto Honpo passed through the blood line of Nichiren Shosetsu. It can be said that the subject of three songs that Yoshida 's son advocated also was a matter that was chanted as a contender by Masamune and Masashi.

I also have a consciousness that I am a Hokke student ___ ___ 0 ___ ___ 0 When you work and challenge, mostly you are praying for your self-protection and comfort. There are many cases where chaos dominates without being able to concentrate. After all it is because it is an ordinary law. Still, I am convinced that it is possible to have great merit because it is related to the blood circulation of Nichiren Shosetsu.

Nichiren Shingon temples list - Wikipedia

Going to the puzzle of Shikoku, reading Jinju's papers, going to a seminar ... Humans are creatures who stray from the suffering, from a searching spirit into a mage.

I would like you to visit Nichiren Shosetsu Temple and relate it to the main honor of the end law.

 

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